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第一章 第一話



 ――障害って、世界平和の切り札にならないかしら?
 ――幾ら何でも、無理じゃないか?


 第一章 東京オリパラへの序曲

エンブレム
 二〇一九年十二月、世界各地では、東京オリパラに向けての予選大会が、開催されていた。東京でも、予選大会が、多く開催されていた。その中には、すでに代表が決まった競技もあったが、陸上と水泳は、まだだった。  日本の予選大会には、アナ、カズ、義助、泳子が、参戦していた。ダウン症のアナと発達障害のカズは、知的障害のある人にとっての数少ない競技である四〇〇メートル競争に出場することにした。義足の義助は、走り幅跳びに参戦することになっていた。ダウン症の泳子は、水泳の競技に参加することになっていた。  支援学校の高等部一年生のアナ、カズ、義助は、毎日、支援学校の授業の時や放課後にみっちりと練習していた。支援学校の中学部一年生の泳子もまた、水泳の練習に余念がなかった。 「ああ、もう耐えられない。せめて、百メートルなら……」  アナが、練習中にいつも愚痴っていた。 「仕方ないだろう。スペインチームの所為でこうなったんだから。徐々に信頼を取り戻すしかないだろう」  昔、スペインチームが、健常者をパラバスケットの試合に出したと言う問題が起きていた。以来、知的障害者は、パラリンピックから締め出されるような扱いを受けていた。今でも、数種類の競技への参加しか認められていない。 「へいへい」  アナが、のほほんと返事をした。 「ハッハハハハ」  三人は、和気藹々としながらも、真剣に練習に取り組んでいた。  この時期は、世界各国で、東京オリパラの予選大会が、行われていた。中国の大会では、アナたちと同い年の李武志が、大会に挑戦していた。李武志は、右足が義足で、義助と同じ走り幅跳びの選手だった。  この予選大会は、十二月三日に始まった。その日は、奇しくも「国際障害者デー」の日だった。障害者問題への理解促進、障害者が人間らしい生活を送る権利とその補助の確保を目的とした記念日のことである。
国際障害者デー
 障害者基本法  第9条 国民の間に広く基本原則に関する関心と理解を深めるとともに、障害者が社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動に参加することを促進するため、障害者週間を設ける。  2  障害者週間は、12月3日から12月9日までの1週間とする。  3  国及び地方公共団体は、障害者の自立及び社会参加の支援等に関する活動を行う民間の団体等と相互に緊密な連携協力を図りながら、障害者週間の趣旨にふさわしい事業を実施するよう努めなければならない。
 大会前日、義助のスマホに着信があった。義助が、嬉しそうに電話に出た。 「おお、義助。相変わらず記録が伸びないようだな」  ルドルフが、流暢な日本語で話した。ルドルフは、アナ、カズ、義助の小学校の支援学級の時の同級生だった。ルドルフの父の仕事の関係で、小学校の二年生から五年生の頃、日本に滞在していた。今は、家族三人、ドイツで暮らしている。ルドルフの母は、日本人だったので、ルドルフは、日本語が、ペラペラだった。ルドルフは、片足が、義足だった。その為、特に義助とは、馬が合って、幼い頃から、パラリンピックへの出場を誓い合った仲だった。 「うるせえよ。前とは比べ物にならないぜ」  義助が、嬉しそうに答えた。 「楽しみにしている」 「ハッハハハハ」  ルドルフは、義助と同じ走り幅跳びの選手で、良きライバルだった。  予選大会が終わった。  アナ、カズは、予想通り予選敗退だった。泳子と義助は、予選を通過したものの、パラリンピックの出場権を得ることはできなかった。 「二月まで、特訓だ!」  義助が、気合いを入れた。  最後の予選大会は、二月に行われることになっていた。


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画像の出典

  1. https://tokyo2020.org/ja/games/emblem/
  2. https://twitter.com/unic_tokyo/status/804166587703885824

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