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第三章 第一話


ここまでのあらすじ

アナ、カズ、義助は、支援学校の高等部二年生で、泳子は、中学部二年生です。義助は、東京パラリンピックへの出場を決めました。日本では、コロナの第二波が収まりつつあり、スポーツ大会も再開され始めました。アナ、カズ、義助が、家族愛を深めました。三人は、東京オリパラを成功させようと案を練りました。しかし、第三波の影が……。

国際障害者デー
 毎年十二月三日は、言わずと知れた「国際障害者デー」だった。障害者問題への理解促進、障害者が人間らしい生活を送る権利とその補助の確保を目的とした記念日。  奇しくも、東京オリパラが延期になって、時間ができたことで、あるイベントが企画された。  イベントの企画は、二本の柱から成り立っていた。  一つは、静止衛星が、東京の上空を周り、東京の様子を、二十四時間、インターネットで世界にライブ配信するものだった。つまり、十二月三日の夜明けから翌日の夜明け前まで、東京の様子を一日見るだけの企画。  もう一つは、世界の色んな国を取材して、その国の障害児を取り巻く環境の話を取り上げることだった。それは、世界の障害児を繋ぐイベントだった。  これらは、五輪SNSを通じて、障害児らが、自ら企画して、実現にこぎつけたイベントだった。イベントの運営も基本的に、障害児が行うことになっていた。画期的だが、とても不安な状況だった。  SNSのメッセージ:〈企画が、少し、淡泊すぎやしないかい?〉  SNSのメッセージ:〈本当にできるの?〉  五輪SNSには、多くの批判もあった。  アナのSNSのメッセージ:〈それでも、やり遂げる!〉  アナが、気合いを入れた。  これには、李武志とルドルフが、全面的に協力してくれた。中国とドイツでの二人の生活の様子も、ライブ配信できることになった。  それに、実際には、世界の障害児が、不安を感じて、インターネットライブ配信サービスを行う会社や民間の静止衛星管制センターに働きかけて、実現した企画だった。
国立競技場
 当日の早朝、満を持して、イベントがスタートした。イベント会場は、東京のオリンピックスタジアムの前だった。薄明かりの中、東京の朝焼けが、世界中にライブ配信された。ネット画面には、アナ、カズ、義助、泳子の姿が、映し出された。四人は、オリンピックスタジアムの前に立って、インタビューを受けた。  アナが、カメラとマイクを向けられて、 「おはようございます。新型コロナウイルスに感謝しています。だって、こんな機会を与えてくれたのだから。でも、もう終息してくださいな。今から、二十四時間、その終息を祈っています。そして……」  と、話していた。  その時、カズと義助が、 「おい! 泳子!」  と、大きな声を出した。  アナが、話すのを止めて、カメラも、声のした方に向けられた。  泳子が、その場に倒れてしまっていた。 「しっかりしろ!」  カズが、泳子を介抱した。  しかし、泳子は、意識を失って、身動き一つしなかった。  心臓発作だった。  オリンピックスタジアムの周りが、騒然とした。イベント企画を見に来ていた人々が、スマホで動画撮影をしていた。その動画も、世界中に配信された。  数分後、数人の医師が、 「ライブ配信、見ていたから」  と、泳子の元に駆け付けてくれた。その中に医師であるカズの父の姿もあった。 「ありがとうございます」  アナが、目に涙を溜めて、医師にお礼を言った。  だが、医師が手当てをしても、泳子の意識は戻らなかった。  しばらくして、救急車が、到着して、泳子が、担ぎ込まれた。 「必ず救うから」  カズの父が、約束して、救急車に乗り込んで、近くの総合病院に向かった。  アナ、カズ、義助は、その場に留まった。  イベントは、こうして、大きなハプニングからスタートした。 「きっと緊張の所為だわ」  アナが、泳子の心配をした。  しかし、イベントを中止にする訳には行かない。  カズが、マイクを持ち、 「イベントの企画は、三つになった。一つ目は、静止衛星の東京中継、二つ目は、世界の障害児の紹介、そして、三つ目は、泳子の回復だ! 必ず、二十四時間以内に元気な姿を見せるから!」  と、力説した。  一.静止衛星の東京中継  二.世界の障害児の紹介  三.泳子の回復  こうして、「国際障害者デー」の三つのイベントが、スタートした。


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画像の出典

  1. https://zatsuneta.com/archives/112033.html
  2. https://ameblo.jp/impiotare/entry-12566348074.html

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