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第二話
義助も、東京パラリンピックに出場する為に、支援学校のグラウンドで、練習をしていた。
ある日、義助が、いつものように、走り幅跳びの練習をしている際に、変な風に着地してしまって、足をひねってしまった。
義助は、支援学校の保健室に行って、一応、病院で手当てを受けることになった。
「大丈夫なの?」
義助の母が、病院にすっ飛んで来て、心配した。
「大丈夫、転んで、足をひねっただけ」
「養生してよ。無理して、大怪我でもしたら、お父さんに顔向けできないわ」
義助の母は、どんな時でも、義助の父のことを思って、義助に夢を託していた。
「大丈夫だよ、すぐ治る」
義助も、その思いを十分理解していた。
「信じて待っているから」
「うん、本選までには治すから」
義助が、義助の母を安心させようと、明るく振舞った。しかし、実際には、しばらく練習を休まざるを得ないほどの重傷だった。
義助の母が、毎日のように、義助のマッサージなどをして、サポートしてくれた。
こうして、アナとカズが、泳子のサポートをして、義助の母が、義助を支えた。そうして、義助と泳子は、友情と家族の愛情を一身に浴びていた。
義助と泳子にとっては、これが、人生初のパラリンピックの大舞台になる。否応なしに緊張したし、一方で、楽しみで仕方がなかった。まさに、夢の舞台は、目の前に迫っていた。
*
支援学校の体育館で、義助と泳子の東京パラリンピックへの出場の壮行会が、開催された。体育館は、色とりどりに装飾されて、全校生徒や先生、それに父兄らが、集まってくれていた。その中には、もちろん、アナとカズもいたし、義助の母もいた。義助と泳子は、気恥ずかしさを感じながらも、堂々と壇上に上がって、みんなの前で、堂々と抱負を語った。最後に、支援学校の校長先生から、激励の言葉が、かけられて、壮行会は、終了した。
「緊張したね」
泳子が、ほっとして、義助に声をかけた。
「ああ、いよいよと言う感じだね」
義助も、緊張の色を隠せなかった。
義助にとっても、泳子にとっても、これが、人生初のパラリンピックなのだ。否応なしに、気持ちは高ぶっていた。それは、もちろん恐れではない。いよいよと言う、ワクワク感だった。義助も、泳子も、この貴重な時間を楽しんでいた。
*
世界の新型コロナウイルス感染死亡者の慰霊碑が、東京のオリンピックスタジアムの見える場所に建てられた。慰霊碑は、コロナウイルスの抗体の形をしており、高さは、五〇メートルほどあった。慰霊碑には、各国のQRコードが、配置されており、そこにスマホなどをかざすと、コロナで亡くなった方の名前が、現地の文字で、表示されるようになっていた。もちろん、残念ながら、亡くなった方々の名前も、随時更新もされていた。とにかく、世界中の犠牲者の名前は、すべて網羅されていた。
この慰霊碑には、毎年、世界中から多くの人々が、訪れて、祈りを捧げることになった。
ある休日、、アナ、カズ、義助も、慰霊碑の見学に行った。その日も、多くの人々が、お祈りに来ていた。
「荘厳な雰囲気だね」
アナが、慰霊碑を見上げて、しみじみと言った。
「ああ、身が引き締まるよ」
義助も、同じ気持ちだった。
三人は、そこで、日本人の老夫婦に出会った。
「携帯電話を買ったんだけれども、使い方が分からなくて」
老夫婦は、慰霊碑の名前を調べに来たのだが、携帯電話の使い方が、分からなかった。
「一緒に探しますよ」
アナが、操作方法を教えて、自分のスマホでも、老夫婦の探している人物の名前を探した。
「あった! ありましたよ」
アナが、その人物の名前を見つけた。
「あら、本当だ。良かった、ちゃんと名前が載っているのね。息子なのよ」
老婦人が、言った。
「息子さん……」
アナは、一瞬、言葉を失った。
「ありがとうね。息子も、これで報われるわ」
「そうですね……」
アナ、カズ、義助は、老夫婦の後姿を見送り、いたたまれない気持ちになった。
「東京オリパラは、多くの犠牲の上に成り立っているのね」
アナが、改めて、新型コロナウイルスによる犠牲者に思いを馳せた。
「この延期された一年の成果を見せつけるしかないさ。それが、最大の供養になる」
義助が、アナを気遣った。
*
東京オリンピックが、7月23日~8月8日の日程で開催された。
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