そういう差
最終話
障害者は、オリンピック選手と同じようなもの。
正直、このフレーズに違和感を感じるかも知れない。
違いがあるとすれば、オリンピック選手は、プラスからスタートして、障害者は、マイナスからスタートするイメージだろうか。
確かに、オリンピック選手は、肉体的に恵まれている一方、障害者は、まさに障害がある。
それは、否めない事実だ。
だが、どちらが、多くの苦労をし、努力を重ね、多くの悲しみを背負っているだろうか。
同じじゃないだろうか。
そこに、健常も障害もない。
観客は、その選手の姿から、その人生の縮図を見抜く。
だから、感動するのだ。
障害者は、オリンピック選手と同じようなもの。
そして、会社員も多くを背負っている。
観客の前で走るか、家族の前で走るかの違いなのだ。
それは、アナの父が、証明してくれた。
実は、みんな同じなのだ。
誰かに感動を与えて、受け取る。
何故、パラリンピックが存在するか。
障害者に光を当てる為だ。
障害者の努力する姿に、人は、感動を覚えるのだ。
マイナス、と表現したが、そこから、選手の人生を垣間見るのだ。
社会福祉の父と呼ばれる、糸賀一雄氏が、障害児を指して、こう言った。
『この子らを世の光に』
障害は、世を照らす光になるのだ。
マイナス、と述べたが、今、これに挑む選手がいる。
ドイツ人のマルクス・レーム選手だ。
義足の走り幅跳びの選手で、二〇一四年、健常のオリンピック選手も含めたドイツの大会で、優勝した。
所謂マイナスから、頂点に立ったのだ。
その人生を目の当たりにして、多くの人々、特に障害のある方々は、大いなる感動をもらった。
障害者には、それだけの伸び代があると言うことだろう。
だから、最後に言おう。
障害者は、オリンピック選手を超える存在になる。
そういう差。
了
画像の出典
- https://www.amazon.co.jp/復刊-この子らを世の光に-近江学園二十年の願い-糸賀-一雄/dp/4140808365
- https://www.parasapo.tokyo/super-athletes/markus-rehm
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